2015年7月30日木曜日

体外離脱と潜在意識の関係性について(7・30の記)

この度、ブログ村の潜在意識カテゴリに登録したので、改めて標題の件についての説明を書きたい。

まず潜在意識であるが、文字通り意識のサブシステムであり、意識による操舵によって、船員のように動いてくれるものと解されている。すなわち潜在意識を信じて、願えば、それが現実となるように動いてくれるものである。動くことが引き寄せの法則である。そうなるというのは、つまり目の前の現実というものが、絶対的ではないということである。現実世界とは、自分の意識がつくりだしているという考えである。これは量子力学的見地の一つである。

体外離脱は、正にこの現実世界、かどうかが曖昧な世界に直接的にアクセスできる手段そのものである。離脱世界は脳内現象説、はあるが確定ではないとされる。離脱世界でイメージングすると、それが現実となって現れる。私も何度となく経験した。離脱世界は自分かどうかが非常に曖昧な、変性意識状態によってもたらされる。

すなわち、体外離脱とは潜在意識そのものなのである。

解釈については、考察の余地ありであるが、体外離脱の経験によって、潜在意識の力についての確信を強めることが出来ることは間違いないのである。

2015年7月28日火曜日

手記ト謂ウモノ(7・28の記)

潜在意識の活性化によるものか、インスピレーションが多く、それを無性に書き殴りたくなることが多くなった。もちろんiPhoneの瞬間日記などを利用してもいいのだが、ペンで書きたいのである。よってハードカバーのノートを買って、いつも携行するようになった。

私は本当に、今更になって気付いた。これが手記というものの意義なのだ。
ゲームとかで都合よく、暗号などを書いた「手記」が落ちてたりする。ゲームの中だけのもので、普通の人は書かないと思っていた。

頭から、また体全体から溢れることを記録する。こうした人間の衝動のために手記がある。なんと、自分が未熟だったのか、今更になって知るのである。

2015年7月27日月曜日

潜在意識ト体調管理(7・27の記)

誰でもそうであるが、夏は体にダメージを受ける。暑さによる直接的ダメージの他にクーラーによる冷え、その温度差等々である。私はダメージを食らいやすく、胃の調子が悪化→食欲不振→夏バテとなる。

当然、潜在意識で何とかしようと思うわけだが、体調ばかりはいかんともしがたい。全くバテてないと意識したとしても、バテてるものはバテてる訳だ。東洋医学的には、胃の調子が悪い→体が不調を訴えてる、楽にすべし→胃に悪いものは食わない、という考えらしい。

そんな訳で、二つの相反する考えの折り合いをつけねばならない。こんなことを考えるうちに一つインスピレーションがあった。曰く、「短期的には東洋医学的に治癒し、中長期的には潜在意識で体調を万全にしよう」である。なんともビジネスライクな、いわゆる落とし所であるが、潜在意識が言ってるわけだから正しいだろう。万能だなあ。
(なお、今後インスピレーション的なものは黄色マーカーで記載します)

現実社会で生きていくには、潜在意識だけというわけにはいかないから、少し工夫も必要だろう。ある本にあった超意識ってやつだろうか。

さて、夢日記。
○現代、体感30分。
ロシア、に住んでいるようである。風景は故郷。ソ連に占領された日本なんだろうか。公安(内務省軍?)が復活して、故郷がターゲットになっているらしい。大軍で攻めてこられたから、水中?に隠れた。その後、ボリスという人物との決着となる。


○所感
なんとも、怖い世界だ! ロシアは夢に度々登場する。潜在的な怖さみたいなのがあるのかもしれない。

2015年7月26日日曜日

ヒーリングに行ってきた(7・26の記)

以前から行ってみようと思っていた、ヒーリングの体験に行ってきたわけだが、結論から言うと今の自分には(お金を払うという意味でも)不要かもしれない。なぜなら、今の自分の潜在意識は活性化しているからである。
今日体験してわかったのは、ヒーラーさんというのは潜在意識のお医者さんみたいなもので、どうしても活性化しないときに治療してくれる存在といえよう。おっしゃることも潜在意識や引き寄せの本が言っている内容であると思う。すなわち、体に異常ないときに医者に行かないのと同じで、今の潜在意識が活性化している状況では不要と考えたわけだ。
ただし、ヒーラーさんのお陰で、以前書込みをしたXさんに対する引け目のような感情は解消された。

要は、それをやろうと思い、実行することが重要なのではなかろうか。
今回の件は、Xに対する引け目を消したい→ヒーリングを受けに行く→解消される→自分の中のネガティブ(ブロック?)が1つ消えた訳である。

最近、インスピレーションが凄いと書いたが、ここら辺の心境も正にそれである。よって、継続的に行くものではないかもしれないが、行ってよかったと思った。